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【2xLP】Peach and Lee - Not For Sale 1965-1975 [2023 USA]

¥6,600 税込

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アメリカン・パワーポップ史上、最重要レーベル Titan! Records より Arlis! 名義でリリースのある I Wanna Be シングルのB面 No Way Baby の作者としてクレジットされた「Peach & Lee」のリーとは一体誰なのか?そして Matrix/Runout に刻まれた「PEACH & LEE FOREVER」とは?全てはここから始まったパワーポッパーも少なくはないのではなかろうか?

Arlis! こと Arlis Peach と、もう1人は Larry Lee (The Scooters/Joey Molland's Badfinger)、2人の出会いは彼らが6歳の時、1957年アイオワ州の田舎で近所の友達だった。Arlis が引越し一時疎遠となるが、1965年14歳の頃にアイオワ州カウンシル・ブラフスにて運命的な再会、お互いの音楽好きが高じて即意気投合、同年にアセテート・シングル(本作Side4トラック6&7収録)制作まで成し遂げるほど R&R に夢中な学生であった。

1971年RCAより Peach And Lee - Hold On / It's Better をリリース、Peach And Lee名義の作品は当時このシングル一枚のみであったが、突如Youtubeに現れた「Peach & Lee (with Hilly Michaels): "Lost & Found" 13 tracks」で一部のパワーポッパーに激震が走った。Reminder Records の Jeremy もその一人で、Larry にコンタクトをとったことをきっかけに、待望の本作リリースに至る。

発掘された Peach & Lee の音源は本作タイトルのとおり1965-1975年の間に様々な場所で録音され、当時 reel to reel tapes 等に残されていた貴重なマスターには、なんと30曲以上あったらしく、2枚組LP27曲に絞り込むのはとても苦労した様子。個人的には Hilly Michaels の数曲が含まれなかったのは非常に残念だが、予想を遥かに上回る音質、曲数、そして何より楽曲のクオリティがどれもパワーポップの原石ともいえるピュアな R&R で心底度肝を抜かれた。当時リリースされていたら間違いなくパワーポップの歴史が変わっていたであろう正真正銘 Raspberries/Big Star/Badfinger と同列で語られるべき POWERPOP! 永久愛聴盤。

レコード&ジャケット:シールド未開封(輸送時の角折れシワあり、写真要確認)
※販売価格5000円超えのため、送料無料(定形外)となります。

Peach and Lee - Not For Sale 1965-1975
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Label: Reminder Records - REM22P
Format: 2 x Vinyl, LP, Compilation
Country: US
Released: 2023

A1 Long Way To Go 2:58
A2 It's Up To You 2:44
A3 Never Made The Grade 2:31
A4 Do It Again 2:20
A5 So Badly 2:59
A6 Down 2:09
B1 Not For Sale 3:43
B2 Ooh Baby 2:47
B3 Paradise 2:24
B4 Come Over 3:03
B5 Tried To Tell You 3:46
B6 Help Yourself 3:21
B7 Got Shot 3:31
C1 When I Get Home 2:33
C2 You Aint Got Me Running 3:12
C3 Don't Be Looking My Way 4:07
C4 Jammin At Jims Place 2:04
C5 Call It A Day 2:17
C6 The Other Night 2:24
C7 Can't Let Go 3:17
D1 Feels Right 3:53
D2 I Bite Back 2:50
D3 Love Is On Our Side 4:14
D4 It's Better 2:10
D5 No Way Baby 3:16
D6 Why Wont You Dance With Me 2:12
D7 It's So Easy 1:17
https://www.youtube.com/watch?v=S97RTDULP-o
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Peach and Lee - Not For Sale 1965-1975
LINER NOTES

始まりは1965年、アイオワ州カウンシル・ブラフスの小さなレコード・ショップに、アーリスと私がギター2本とアンプ1台、そして...私たちが書いたばかりの大ヒット曲を2曲持って入ったことだった。ハハハハ。私たちは14歳だった!ちょっと待って...実は、本当の始まりに話を戻そう。

1957年、私は6歳で、アイオワ州の農場に住んでいた。アーリスという子供とよく遊んだ。 あまりよく覚えていないのだが、姉から「私たちはいつも一緒だった」と聞かされた。なぜなら、彼はプラム園のすぐ先にある隣の家に住んでいたからだ。アーリスが数年後に都会へ引っ越すまで、私たちは二人とも「レインボー・スクール」という名の同じ2人部屋の学校に通っていた。

【THE SCHOOL YEARS】
母と私がカウンシル・ブラフスという大都市に引っ越したとき、ラリーとはお別れしなければならなかった。そこで私はロングフェロー小学校に通い、5年生になると、まだ田舎に住んでいた子供たちをバスで受け入れるようになった。

ある日の体育の授業で、私はラリーという転校生に出会い、話をするようになった。2人とも体育の授業が嫌いで、「え? 音楽やってるの??」まあ...そういうことだった!

ある夜、ラリーが電話してきて、田舎に住んだことはあるかと聞いてきた。僕は「うん、あるよ。なんで?」彼のお母さんが、僕らの家の近くにピーチって名前の家族が住んでたって言ってたんだ。 そうなの?「キャロラインというお姉さんがいる?」い、いるよ。。

その時、私はピンときました...この子は、私が5歳か6歳の時に田舎で一緒に遊んだ子だ、と。彼のお姉さんにすごく憧れてたから、覚えてたんだ。だから......実は、私たちはただ会っただけじゃなかったんだ......5、6年ぶりに再会したんだ!

あっという間にラリーと私は、一緒に音楽をやる時間を延ばすための素晴らしい計画を練った。私は仮病で学校をさぼって家にいて、ラリーはギターとアンプを持って学校行きのバスに乗り私の家まで歩いた。母は仕事中だったので、私たちは家を独り占めし、一日中音楽を演奏したり聴いたりした!完璧だった。学校なんて何のために必要だったんだろう?ソングライターになるんだよね?はい、そのとおりです。

ある日の午後、私の家のドアがノックされた。窓から覗いてみると......大変だ、捕まった......!
校長先生(ミスターG)だった。「ラリーと私がすぐに学校に戻ると思っていたのですか?」と皮肉たっぷりに聞いてきた。痛い。でも事実僕らは「ロックンロールに撃たれたのだから、もうその傷は癒えることはない」のだ。(B7参照)


【WRITING AND RECORDING】
当時、アーリスと私はレコードを聴きながら新しいコードを覚えることにほとんどの時間を費やしていた。私たちふたりは、それまでも断片的な曲は作っていたけれど、イントロ、ブリッジ、ブレイクを含む全曲を一緒に作るようになった。歌と作曲が私たちの情熱となり、それからは他のことはどうでもよくなった。ヴォーカル・ハーモニーに関しては?私たちはそのために努力したことはない。自然にそうなったんだ。

やがて、アーリスと私は初めて2曲をレコーディングする機会を得た。街でアセテート・レコードを作ってくれるところがあると聞いたんだ。私たちは友人や両親に頼み込んで、必要な資金を工面してもらった。 1965年は1時間30ドルで、15ドルで "Why Won't You Dance With Me"と "It's So Easy"の2曲を録音した。(D6&7収録)

だから私たちは、ほうき小屋ほどの小さな部屋にギター2本とアンプ1台を持って立ち、マイクを囲んで歌い、"ライブ "で演奏した。モノラルの1トラック録音で、それは最高だった!(少なくとも私たちにとっては)私たちはアーリスとラリーとしてあの小さなスタジオに入ったが、ピーチとリーとして出てきた。

その後、平穏と教育はしっかりとバックミラーに映し出された。 家族が農場からネブラスカに引っ越した後、
私はアーリスと彼の母親と一緒に暮らした。 私たちは機会があるごとに作曲やレコーディングをしていたが、
アーリスの母親が中古の2トラック・オープンリール・レコーダーを買ってくれたことで、すぐにレコーディングがうまくなった。
しかし、私たちの焦点は、本物のスタジオで自分たちの曲を録音し、本物のレコードを作ることだった。


【“ONE OF MANY… BOTTOM LINES”】
ラリーと私は、音楽の他のどの側面よりも作曲とレコーディングに集中したが、
もちろんクラブ・シーンやバイカー・バー、州フェア、講堂、貸しホール、フェスティバルなどでも演奏した。ラウンジ・リザードのサーキットにも1、2回行った。フル・バンドでなければ、ピザ・パーラーなどでデュオとして演奏していた。私たちはロード・フードやロード・ロットに精通していた...しかし、いつも常に、地平線上にある次のレコーディング・スタジオを探していた。

ピーチとリーはレコーディングのためならどこへでも行った。 ここで3曲、そこで4曲、また別の場所で5曲。 母の居間でのライブ・レコーディング(A6)からロサンゼルスのサウンド・シティまで。RCAスタジオの東と西からレコード工場まで。真夏のテキサス州ヒューストンに私の61年型ワーゲンで3曲だけレコーディングしたこともある。(B5/C7/D1)そう...私たちは確信犯で、決して後戻りはしなかった。

実のところ、何年もの間、たくさんのインディペンデント・スタジオがあり、たくさんの人々が私たちを助けてくれた。だから...僕らを信じてくれたすべての人へ、このアルバムを贈ります。 ラリーと私は昔、"Peach and Lee Forever"という言葉を交わしていた。
なぜかって?音楽は時代を超越するものだからさ。

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